2016年10月11日火曜日

南から北へ動いたと思えばピタリと止まり、また北から南へと潮は動き出した…。

思えば人生の半分以上を北の大地で育ていただきました。
何よりも多くの諸先輩方に育ていただけた私は幸せ者です。














そして20数年間の時間をかけて北の川を下っておりましたら海に辿り着きました。

海は広いです。無数に島があり、流れも速いとこだと8ノットほどです。
南から北へ潮が動いたと思えばピタリと止まり、北から南へ潮が動き出す…。

私は今、地球はダイナミックに動き続けて居るコトを、
しまなみの海で感じています。

夕日が見たいと日本を歩いて横断した15の頃
日本が小さいと言ってヨーロッパに飛び出た18の頃
日本で一番強い動物を倒したいと思って羆を追った22の頃
人と自然のリズムが近づけばと思い、
地球一周分ぐらいカヌーを漕いで川を旅し続けたこの21年間
今、海に辿り着きました。

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海がザァザァと北から南に流れたと思えば、
静まり返る鏡のような時を向かえる。
見ている暇なんかない!
あっと言う間に南から北にザァザァと流れが変わる。
古くからの漁師が僕に言った。
その昔ここを通った中国の船乗りが
『なんだ、日本にも大きな川があるじゃないか…』って。

始めて、この変わる流れを見つめた時、
僕の理解は付いて行っていなかった。
流れとは、上流から下流に流れるのが川。
僕の体には上から下と言う流れの形が染みついて居るコトに気が付いた訳で。
その時、まじかで見たこの流れの風景を怖いと思ったんだ。

上も下もないこの流れ。
何日もいく晩も流れを見詰めてた。
僕はココを渡りたい。向こうの島に行きたいんだ。。。
静けさの時間を知るには時間が必要だった。

海がザァザァと北から南に流れたと思えば、
静まり返る鏡のような時を向かえる。
見ている暇なんかない!
あっと言う間に南から北にザァザァと流れが変わる。

チャンスがある。
もうじっとしてられなかった。
流れは変わるんだ…。

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辿り着いた海を前に、若者たちとの、人の暮らしと自然のリズムが近づく祈りから、山や河、そして海を通じて、
『今、若い子たちがもっとも必要としている経験への時間』に、
若者と共に共感と経験、共生の世界を共に探る時の世界に行ってきます。


















これからは、しまなみからの時間をアップして行きます。

2016年5月19日木曜日

熊本大震災 5月16日までのレポート

北海航路で海を越えます。



日に日にボランティアの数も減る熊本で今もなお、汗まみれドロまみれになってる仲間を想いながら、不調のパソコンを諦め、調子の悪いスマホを手に持ち日本海を前に書いています。
多くの方々からの温かな支援に支えられ熊本大震災の被災地で活動すること出来ました。
お一人お一人にメールなり、お手紙なりでお礼を申し上げたいのですがこのような形でのご挨拶出来ずすいません。厚くお礼申しあげます。

初動の混乱の中、大雨により避難所に土砂災害の恐れがあると言う事で、避難されている方々が更に避難を余技される中で食材や機材を運びだし、避難先で何とか温かい食事を取れたらとの思いで、ずぶ濡れになりながら和歌山のにんにこ隊の、おざざとウッキー私で走り回ったのがつい先日のように思われます。
慌ただしく体育館の軒先で始まった炊き出しも、この一ヵ月で朝昼夜と作り続け6000食を越えました。
その多くは、皆様のように様々な形で支援してくださった方々のおかげです。





とりわけ、初動の立ち上げを行っていた私たちは、流通がまで確保できていない為、足らない食材を探して遠くまで走って買いに行ってきたり、使い捨ての食器をやめる為にスプーンの一つから、プロパンガスや、お肉など買う事が出来のも皆さまのおかげです。
避難所に居た子供たちにもこっそりと風船や色鉛筆と画用紙を買ってあげたりしました。
そうそう、タバコが好きなおじちゃんにもやっぱりタバコを買って来てあげたりしました。





また、地域の方々がこの震災を機に立ち上げた復興支援ボランティア団体の立ち上げの費用のほんの一部ですが、ガソリン代も足らなくなってきたので資金を手渡してあげました。混乱する初動にフットワーク軽く動く事が出来たのも皆さまの支えがあってのコトです。

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以下私のfacebookから転記
住宅の被害は5万軒を越え、全壊家屋は2万3000軒を越えている今回の大震災・・・。
数字だけでは計り知れない、一人一人の歴史や物語り、思い出を育んだ家々が5万軒傷つき失われたわけで・・・。




その悲しみや辛さが今もなお、そこかしこの熊本の片隅に存在し、私は出来るだけ感情を押し殺し、『どうしたら、今より・・・』と言う気持ちに心を委ね、笑うとは違う微笑みを絶やさぬように、一つ一つと向き合う行動に努めました。
私にとってはまるで初夏のような日差しや暖かさが降り注いだと思えば、見たことも無い雨粒の大きさの雨も
降る熊本。。。
日を追う毎に裂けた大地は、瘡蓋のように盛り上がったり、さらに開いたり大地は生きている訳ですが、人もそんな大地と折り合いを付けるかの如し、確かにそこに人々は生きている。
災害とは、あまりにも急な出来事であり、発災後も大地の動きに適応するには時間もかかるし、辛さと恐怖が身を支配している。
ただただ、そこに寄り添い、手助けに成ればとの思いで、丸っこくなってもくもくと、一つまた一つ出したり動かしたり、作ったり・・・。
それが本当に手助けになったかは解らない。
ただただ、それが出来るコトだった。
今もなお、もくもくと、ただただ、もくもくと、明日へ向かっての力に成ればとの思いだけで、ドロドロになっている仲間がいる訳です。
そして今もなお、裂けた大地との折り合いを付けるかのように、被災された方々が居るコトを忘れないようにしたいです。


大地は常に動いている。

2016年5月9日月曜日

熊本大震災5月8日~レポート


災害が起きると言うコト・・・

熊本県内の小中学校の62校学校が再開したと言うニュースが流れていた。
 


暮らしの場が被災している彼らなのですが、
村の危機をほおって置く事が出来ず自ら災害支援のボランティア団体を立ち上げ、
始めての経験に戸惑いながらの、発災からの4週間近い日々。


 
地域の事を知っているからゆえ、
支援しやすいコトとしにくいコトの狭間に日々寝る間も惜しんで対応に追われている。
 
日々地域の対応に追われるがゆえ、
日々のあれやこれやは対応できるのだが、
これから先へ向けての歩み出しが始まりました。

 
地域にあった復興への歩みが一歩ずつ進むお手伝いを、

まずはして行きます。


2016年4月25日月曜日

熊本大震災4月24日レポート

歩だすためには…。

震度7の地震が二度、地震の亀裂に大量の雨が流れ込んで起こった土砂崩れ…。
家々は倒れ、土砂に埋まり、すっかりと変わり果ててしまった山間の集落。

朝食後その地区の方々と、家の状況や優先的に取り出したいものなどを打ち合わせ、道具を準備して集落へ向かいました。

震災後10日が過ぎても全く手の付けられていない集落は、
大雨の影響で大量の土砂で家や車で道路が埋まってました。



これでは、まったくもって家までたどり着けそうにない。。。



雨が降る度、気が気ではないですよね。




この震災を機に、地元の有志で立ち上げた『南阿蘇よみがえり』の代表に、
資金を託し、僕は一旦熊本を離れます。



一つの石をどける。
ひざ下まで埋まるほどの泥を一すくい、ひとすくいづつ取り除く。
まだまだ、人の手が足りていません。
と言うか、復興へ向けての手助けをするボランティアが南阿蘇にはほとんど見当たりません。
一つでも笑顔が取り戻せますように、
皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

後ろ髪をひかれつつも、
一旦帰路に着く海の上で、
くしくも、本震と同じ日に誕生日を迎えた私の中に、
また一つ奮い立つような新しい芽生えを感じました。













2016年4月23日土曜日

熊本大震災4月23日レポート

災害がもたらすのも…。

『ありがたいね…、シリア何かではこうやって食べれないんだよね。。。』
作業着姿のおじちゃんがご飯を前に手を合わせている.。
『年寄二人で、この先どうしようか…』
『まだ、怖くて家を見に行けてない…』
『つぶれた家から荷物何て出せるもんかね…』
避難所の片隅で声にならないほどの、つぶやきがお茶を飲みながら、
一服しながら聞こえて来ます。
人を選ばず、草木も動物も全てが地震によって、
今までとは変わってしまう…。



避難所に隣接する炊き出しで出会う様々な人の姿に、
今の世界の状況や、人の気持ちが伝わってくる気がします。
年齢も性別も、普段なら出会う事も無いかも知れない方々など、多くの方々と向き合います。
今日は、朝から昼食のカレーと温野菜を仕込みます。
スプーンが無い!と言う壁にぶち当たりましたが、ちょっと離れた所のスーパーが営業を始めたので、調達できました。皆さんありがとうございます。
 


昼も食べ終わると、夕食の食材で足らない物の調達です。。
南阿蘇村の立野地区の方々と阿蘇の方々と共に1日2食作っているのですが、
僕の役割の多くは、足らない物を調達する、地域の方々が出来るだろうと思われる事を地域の方々とボランティアでやって行く、地域のボランティアの方々が中心となり地域の困っている人の手助けが出来るようになる、行政とそのボランティアグループが連携をとり共に復興を目指す仕組みを現場で一緒に動きながら模索する、ざっくり書くと南阿蘇での私の動きです。




私たちは、外から応援に来たボランティア。
外から来た人はいずれ各地に帰ってしまう現実があります。
居る間に何か力になってあげたいと言う気持ちで来ているのですが、
僕はあれがしたい、これがしたいと言わないようにしています。
出来るだけ、そこで必要な事に対して反応し動ける体制をいつもとっています。

そして、現場では出来るだけ人の顔色を伺いながら動くようにしています。
被災された方の暮らしは普段とはまたく違う状況なのですが、
災害が有ったからこそ生まれるモノやコトも多くある気がします。
新しく移住された方々と、代々この地で暮らす方々が、この震災を通じて会話が生まれ、
助け合いや会話が生まれています。

少しずつ地域のボランティアと行政がタッグを組んで動き出しています。
日々天候の不安はあるものの、希望の光が僕には見えて来ました。
やるじゃん!熊本。




2016年4月22日金曜日

熊本大震災4月22日レポート

発災から一週間がすぎました…。
今だ居合抜きの様な余震が『ドシーン・ドシーン』と突き上げています。
ひところよりは、だいぶ減ったかなって感じます。
東日本大震災時も2ヶ月ほど余震が続いていた気がします。

昨夜の雨でやっぱり山沿いの所々で新たな土砂崩れが有ったようです。
地震で出来た亀裂に多くの雨水が流れ込んだからだと思います。

ご自宅近くの避難所にいつ戻れるかは、
明日以降の雨しだいと言った感じです。

ご自宅近くの避難所から離れた場所に避難しているので、
自宅の片づけが進ままないとの声が聞こえて来てます。



今朝は、お昼の食材の調達から始まりました。
徐々に近隣のスーパーが開いて来たので、
お肉や卵と言った品々が炊き出しの中に入り始めました。
ありがたい話です。



避難所のお母さん方と一緒に昼食を作ります。
手が足らないと『一緒にどうですか?』と、私は誰彼かまわずに声をかけます。
声掛けに応じてくれたのが、避難者の方々の地域の病院関係者だったので、
朝食をサーブしながら、『おばあちゃん、体調はどう?』などと、
お声掛けしてくれてました。


今日は天気が良かったので、
花壇の側などに腰を掛けてのんびりしている人が多かったです。
空を見つめ、何を思っているのでしょうか。
進まぬ片づけの事でしょうか、それともこれからの事でしょうか。
これからは、一緒にお茶でも飲んでお話を聞いて見ようかと思います。



今夜の夕食は、親子丼とお味噌汁とお素材とリンゴのデザートを170人分ほど仕込んでいます。



2016年4月21日木曜日

熊本大震災4月21日レポート

地震で弱った大地に注ぐ雨は。。。

明け方から降りだした雨は次第に強く降るようになり、これからの炊き出しの機材や食材の搬入が終わるころには、とうとう大雨警報が発令される状況となってしまいました。
行政と地域の代表の方、そして警察と自衛隊を交えての決断にて、
10時を待つ前に避難所の小学校に残るのは危険との判断で避難者およそ150名の移動が決定となりました。



年配の方々が多く、大雨の中での移動は困難を極めました。
足の不自由な方、車いすの方、耳の不自由な方に、地域の方々やご家族が寄り添って、
警察車両のバスに乗れる方は、バスに乗り込み、バスまで行けない方は、地域の方々やご家族の車に乗り込み、移動開始です。
いつまで非難するかは天候次第なのですが、
手に持てる簡単な荷物を持って隣町の体育館へと向かいます。
しかし、隣町の体育館にも既に300人を超える避難者が既におり、
一旦は建物に入ったのですが、再度協議の上ですぐに別の企業の体育館へと移動が始ました。
企業の体育館へ避難者の方々の避難が終わったのは、既に14時を廻ったころでした。



機材と食材の多くを、もともとの小学校へ置いたままでしたので、
機材を取に行く班と、追加の食材を購入する部隊に別れ、
夕食の炊き出しの準備へと取り掛かれたのが、既に15時を廻ったころでした。
私たちが食事を作って提供すると言うよりも、
避難されている方々と共に地域の料理を学びながらの炊き出しスタイルの私たち。





雨の拭き込まない軒下に簡易のキッチンを作って、
お母さんがたと若者との和気藹々とした熊本での私たち始めての炊き出しでした。



今、雨は小雨になって居ますが、
明日からも天気が悪そうです。
今、行政と地域の代表の方、そして警察と自衛隊を交えて明日からの事を協議しておりますが、
ここに残るか、元の小学校への協議が続いております。。。

※ブレイクダンスの世界チャンピオンと日本チャンピオンコンビも一緒に頑張ってくれました。



いたるところに地震の影響で大地に亀裂が入り、
その亀裂に沢山の水が入り込み山が動いている。
人々はただたた撤退するしかなく、
決して大地に、地球に勝事は出来ない…。
しかし、決して人が弱い訳ではないと思う。
人は助け合い、人として生きている、それでも私たち人間は地球の一部なんだと、
降りしきる雨の中、逃げ惑うように避難所を転々とした中で改めて感じました。
明日も今日という日を一生懸命、生きてみます。